「やりがい」を「仕事」に求めすぎてはいませんか。
- 理事長 森 顕子

- 2025年12月22日
- 読了時間: 5分

プラス・エデュケートへの入社を希望される方の多くが、志望理由として「社会貢献ができると思った」「子どもの役に立てる仕事がしたい」「やりがいのある仕事だと感じた」などと話してくださいます。
その思い自体は、とても大切なものだと思います。ただ同時に、入社後1~2年で退職を選ぶ方が少なくないのも事実です。体感としては、3年以上続く人は2割ほどかと思います。
理由として挙がるのは、「(子どもの日本語教師という仕事は)思っていたより大変だった」「自分の知識が足りない」「職場がもっと楽しい雰囲気だと思っていた」「体力的にきつい」「家庭との両立が難しい」「成果を出すというプレッシャーに耐えられない」「やりがいが感じられない」といった声です。
■「やりがいがない」のではなく、「認められていない」のが本音では・・
しかし、退職という結論にいたるまでのエピソードをよくよく思い返してみると、
「自分はこんなに大変なのに、誰にも認められていない」という思いであることが少なくないように感じます。
「先輩から評価されない。」「努力しているのに褒められない。」「子どもが自分の思うように動いてくれない。」「家族の理解や協力が得られない」
そうした状況が続くと、「自分は向いていないのではないか」「ここにいる意味があるのだろうか」「自分は成長していないのではないか」と自分を疑い始めます。
つまり問題は、「やりがいを感じられないこと」そのものではなく、承認されていないと感じるつらさなのではないでしょうか。
■ 私自身は「やりがい」を求めて教育の世界に入ったわけではありません
少し、私自身の話をさせてください。 私が教育の世界に入ったのは、バブル期が終わって数年後のことでした。当時は、「やりがいのある仕事をしたい」などと考えてはいませんでした。単純に、稼ぐためでした。
入社した学習塾では、資格や経験、性別に関係なく「成果報酬」が掲げられていました。結果を出せば評価される。その分、厳しい世界でもありましたが、だからこそ「自分の力を試したい」という思いで飛び込みました。
そこで私が突きつけられたのは、「成果とは何か」という問いでした。
■「成果を出す」とは、「子どもを主役にする」ことだった
テストの点数を上げること。合格させること。確かにそれも成果です。しかし、それは子どもの夢の実現においての「ある時点での成果」にすぎません。教師を続けていくうちに気づいたのは、本当の意味での成果とは、「子どもが自立し、自身の人生を主体的に力強く生きるようになる」ということでした。そのために「教師は黒子に徹し、子どもを主役にすること」が必要だとわかったのです。結果、以前と比べ、子どもが自信を持って考え、行動できるようになると、周りがその変化に気づき、「あの塾の先生が素晴らしいのではないか。」「わが子も変われるのではないか」と評判がたち、その塾はいつも活気に満ち溢れていました。そして私の社内における「成果」も伴っていったのです。
■ あのときがあったから「今がある」と感じられる幸せ
「子どもを成長させること。」 「子どもが自分で考え、自分で選び、自立できるようにしていくこと。」
それは簡単なことではありません。マニュアル通りにやっても、すぐに結果が出るものでもありません。だからこそ、私は必死に目の前の子どもに向き合いました。
「どうすれば伝わるのか。」 「なぜこの子はつまずいているのか。」
「子どものモチベーションをどうやって上げればいいのか」「自分の関わり方は適切か」
「(手をかけすぎることで)子どもの主体性を阻害していないか」
そうした問いを抱えながら、試行錯誤を続ける日々でした。 正直に言えば、その最中に「やりがい」を感じることはなく、毎日余裕はありませんでした。 労働時間としては10時間や12時間というのは普通で、「働きすぎ」という状況でしたが、それでも、後になって振り返ったとき、「あの時間があったから今がある」と思えたし、 そのとき初めて教師という仕事に、やりがいを感じることができたのだと思います。
■ やりがいは「感じようとして得るもの」ではない
教育の仕事において、やりがいは最初から与えられるものではありません。 また、「楽しい」「満たされる」といった感情とも、必ずしも一致しません。
むしろ、
思うようにいかない時間
認められないと感じる苦しさ
自分の未熟さと向き合う経験
そうしたものを引き受けながら、それでも逃げずに向き合った人が、あとから静かに気づくものだと思います。
やりがいを求めて仕事を選ぶこと自体が悪いわけではありません。 ただし、やりがいを「最初から感じられるもの」だと期待しすぎると、現実とのズレに苦しむことになります。
■ やりがいは、仕事の「結果」として残るもの
私が伝えたいのは、とても単純なことです。
やりがいを求めて仕事をするのではなく、 仕事に必死に向き合った結果として、やりがいが残る。
教育の仕事は、決して楽な仕事ではありません。 すぐに認められることも少ない仕事です。
それでも、この仕事を続けてきた人たちは、後になって「やってきてよかった」と静かに思える何かを、手にしているのではないでしょうか。
やりがいとは、そのときに初めて、言葉になるものなのだと思います。





コメント