Interview 01
認められてはじめて
「やりがい」を知った
2017年5月入社
オンライン事業責任者
名古屋市日本語初期指導教室責任者
愛知教育大学教育学部 日本語教育コース卒
日本語教育能力検定試験合格
中学校・高校教員免許保有
竹内 真穂
マイペースで、結構打たれ強い方だと思います。(苦笑)
「きついことは笑顔で乗り切る!」がモットーです。

プラス・エデュケートに入社したきっかけは何ですか?
プラス・エデュケートでボランティアをしていた友人から、子どもに特化して日本語を教えている場所があることを聞いて、興味を持ち、友人がおもしろいから来てみたら?と声をかけてくれたことです。
日本語教師になったきっかけは何ですか?
高校や大学時代に参加した様々な国際交流の場で、日本文化や日本語を教えたり、また、外国のことも知れたことが楽しく、これを仕事にしたいと思ったからです。
仕事でやりがいを感じる瞬間は、どんなときですか?
日本語が通じなかった子どもが意味を理解し、話せるようになったり、できなかったことができるようになったりして、子どもの成長を感じられたときは最高です。子どもだけでなく、保護者や学校の先生に感謝されたときも、やりがいを感じます。
今後の目標を教えてください。
私も入社6年目となったので、新しく仲間になる人たちに、自分の経験やアドバイスができる頼りがいのある先輩になりたいです。また、法人運営にも積極的に関わっていきたいと思います。
目標を達成するために、自分に必要なものは何だと思いますか?
人としての自分の引き出しを増やすことと、日本語教師を目指す人へのサポート力をつけることです。

大学卒業後、タイへ行っていますが、その経験が日本語教師へとつながったのですか?
タイでは、タイ人の日本語教師とのチームティーチングをしていました。具体的には、現地の人にネイティブの発音を聞かせたり、会話練習の指導をしたりしていたのですが、そこで教師として授業に立ちたいと思い立ってしまいました(笑)
プラス・エデュケートに所属して、どんな社会を実現したいと思いますか?
外国にルーツを持つ人たちが日本で夢を持って生活できる社会が実現したいです。そのためには、まず日本語教育の認知度を上げたいです。特に子どもへの日本語教育をしている団体・学校は全国でも非常に少なく、プラス・エデュケートの活動を通して、子どもへの日本語教育の必要性がより多くの人に伝えたいと思っています。
先輩から厳しいフィードバックをもらったこともあったそうですね。どう感じましたか?
自分でも不足していると感じていた部分を的確に指摘されたので、改善しないと私は成長できないと思っていました。今は「とてもありがたかったなぁ~」と思っています。
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うまくいかない時期をどう乗り越えましたか?
「わかる・わからない」や「おもしろい・つまらない」の反応を露骨に表現してしまう素直な子どもに、日本語をわかりやすく教えることができたら、大人に対しても、海外でどこへ行っても通用する」と先輩から言われたことがあり、まずは目の前の子どもに向き合うしかないと思って耐えました。(笑)
乗り越えた先に見えたもの、感じたことはありますか?
子どもの成長・自分の成長を感じることができました。初めて学校の先生や保護者からの評価と感謝を得られたときは、「頑張ってやってよかった!これがやりがいなんだ。」と思いました。
日本語教師になりたい人へ、メッセージがありますか?
先輩からの研修や手厚い指導があるので、日本語教師をやってみたいけど未経験で心配という方。
そんな方でも、情熱とやる気があればやりがいを感じられる教師になれると思います。



Interview 02
過去の出会いに感謝し
その恩を送る
2016年8月入社
研修事業部責任者
豊明市日本語初期指導教室責任者
愛知教育大学 教育学部卒業
小学校・中学校・高校・幼稚園 教員免許保有
小島 恭子
いつも元気で笑顔でいることを心掛けています。
何事にも全力投球します。
日本語教師になろうと思ったきっかけは何ですか?
2013年から3年間、夫の海外赴任に帯同してアメリカへ行きました。
小学校4年生の息子と、中学校1年生の娘を連れて行きましたが、下の子どもが「毎日がLiving Hellだ。」と泣くのです。
心が張り裂けそうな気持ちのときに、アメリカの老夫婦が親身になって助けてくれました。言葉から生活まで本当にお世話になって。
息子もアメリカのおじいちゃん・おばあちゃんができたと言って喜んでいました。彼らがいなかったら、言葉が分からない国で不適合を起こして、学校へ通えなかったと思います。そのとき受けた恩を、日本で困っている人に送りたいと思い、日本語教師になりました。
言葉が分からない国で苦労されたんですね。
はい。子どもは本当に苦労しました。私も英語で苦労しましたから、日本に来て言葉が分からない子どもや親の気持ちがよく分かります。
小島さんも英語が話せなかったのですか?
話せませんでしたね。だから、ノリと勢いと笑顔だけで乗り切りました。(笑)
ノンバーバルなコミュニケーション力はアメリカで身につけたかもしれません。

日本語教師になる前は、違うお仕事をしていたのですか?
はい、約20年間コンピューター会社のシステムエンジニアとして働いていました。当時はとても忙しく、毎日終電で帰る生活でした。やりがいを感じていたし、残業が辛いとは思いませんでしたが、さすがに、このままでは仕事以外の生活がダメになる思い、会社を辞め、起業してワークライフバランスコンサルタントになりました。起業してからのほうが大変でしたけど…(笑)
小島さんにとって「仕事」とは何ですか?
「自分が自分であるために不可欠なもの」「自己成長の場」「自己表現の場」でしょうか。
人生の中で仕事をしなかった期間はアメリカにいた3年間だけです。帰国して翌月にはここで仕事を始めましたから。(笑)
異なる業種への転職は戸惑いがありませんでしたか?
新しいことに挑戦するのですから、簡単にはいかないことは最初から分かっていたので、戸惑いはありませんでした。
恩を送るために日本語教師をするということは決めていましたし。ただ、日本語教師としての知識がゼロでしたので、がむしゃらに努力しました。過去の経験が役立つこともありました。
プラス・エデュケートの日本語教師になってみてどうですか。
感動しかありません。日本語の授業初日、不安そうに来る子どもたちが、日本語が話せるようになることで、見違えるように生き生きとした表情に変わっていく姿は、本当に素晴らしいです。
半面、子どもを3,4ヶ月で話せるようにするためには、教師力が求められます。ただ「教えた」だけの指導ではなく「できるようにする」指導をするのがプラス・エデュケートの日本語教師ですから、それができるようになるまで、必死で頑張りました。
「できるようにする指導」を身につけるまで、どんな努力をしましたか。
大きく分けると2つでしょうか。『子どもをよく観察すること』、そして、『考え抜くこと』に注力しました。今、目の前の子どもが「わかることは何か」「わからないことは何か」「どんな言葉で話しかけたら、子どもが理解できるのか」「今日教える内容のポイントは何か」「それは今までの学習した内容とどう違うのか」などなど。そして、やってみる。失敗する。上司や先輩に報告してフィードバックをもらう。再び考えて改善する。の繰り返しでした。いわゆるPDCAサイクルですね。その思考は社会人を長くしてきたことが役立ちました。
今後の目標を教えてください。
多くの方に、プラス・エデュケートの日本語指導法を知ってもらうことです。この指導法を広めることで、一人でも多くの子どもに質の高い日本語教育を届けたいと思っています。子どもたちから言葉の不安が取り除かれ、笑顔になれるよう、活動を続けていきます。
日本語教師になりたい人へ、メッセージがありますか?
私は49歳で、日本語教師になりました。新しいことを始めるのに、年齢は関係ないと思います。「いい日本語教師になる」と決めて、それを追求し続けられる方だったら、ぜひ、挑戦してほしいと思います。
