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プラス・エデュケート物語 part4


 「プラス・エデュケートを始めた理由」をpart3まで書きましたが、「その後はどうなったの?」というお声を多数いただきましたので、(ありがとうございます。)「プラス・エデュケート物語」とタイトルを変え、その後を続けますね。 


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 プラス・エデュケートの活動をはじめて、すぐに教室で勉強するようになったのが、「サユリ」「カオリ」「ナオキ」(全員仮名)です。3人ともブラジルにルーツをもち、同じ団地に住み、団地内にある小学校に通っていました。夏休みになったばかりの暑い日の午後でした。日本人は熱中症になるからと、炎天下で遊ぶことはせず、冷房の効いた室内でゲームでもしているのでしょうか、外で遊んでいるのは外国にルーツをもつ子どもたちだけのようでした。

 汗だくで、プラス・エデュケートの前にある日陰で休んでいた3人に声をかけ、宿題を持ってくるようにいいました。サユリは、流暢な日本語で次のようなことを教えてくれました。

 「あのね、私、日本で生まれたの。ずっと日本にいる。ブラジルには小さい時に1回行った。でも、あんまりおぼえてない。この2人は兄弟で、去年日本にきた。同じ小学校。」



(写真はイメージです)


 お恥ずかしいのですが、私はそこで初めて、「日本生まれ」の子どもがいることを知りました。サユリさんは日本生まれ日本育ち、日本の保育園に3年通ったうえでの小学4年生でした。ですから、日常会話は全く問題ないため、私はまるで日本人の子どもに教えるように教え始めました。

 ところが、国語の問題ですぐにつまずいてしまいました。読み方がわからない漢字を教えれば音読はできるのですが、読んだ後でどんな話だったかと聞くと、わからないと答えたのです。

 教科書の文章は、高学年になると普段の「会話」で使うものだけでは書かれていません。例えば「はるかに」「すこぶる」「産業」「意識」「積極的」などの言葉を、小学生は普段の会話では使わないですよね。さらに「動くこと」と言えばわかるけれど「動作」だとわからないという場合もあります。考えてみれば、彼らは、日本語を使うのは学校内だけで、家に帰れば、彼らの母国語を使います。そのため、教科書に出てくるような日本語(学習言語)は、意識して覚えようとしない限り、身についていかないのです。

 まずは、この3人のつまずきをきちんと把握し、サポートすることで、「できる喜び」を感じてもらい、口コミが起これば、子どもたちは集まってくるだろうと直感しました。しかし、そうなるとサポートができるボランティアや教師が多く必要になります。どうやって集めたらいいのか。そしてその時は学習教材も十分に用意していませんでした。貯金のほとんどを教室の改装費に充てていた私には、余分な資金がありません。

さて…どうしようと悩んでいたとき、私の目の前に一筋の光が差しました。


つづく・・・・・・

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