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  • 森 顕子

If I Were a Boy


               (写真はイメージです)

 車に乗るときはいつも音楽を聴いています。今日はBeyonceの『If I Were a Boy』が流れていました。この曲は「私がもし男だったら、自分のことをこんなに愛してくれている恋人のことを裏切らないわ」という、自分を大切にしてくれない彼への不満や悲しみを歌っているのですが、私はこの曲を聞くと全く別のことを考えてしまいます。


 私の家族は両親と妹の4人です。母は専業主婦で、父親は高校教師でしたが、ほぼ毎日17時30分には帰宅し、一番風呂に入り、1~2時間ほどかけて食事をとるという人でした。(どうしてそんな勤務ができたのか、今では不思議です(苦笑))父親は早い時間に帰宅しているので、何時に学校から帰宅し、テレビは何時間みて、勉強は何時間したという子どもの生活がほぼわかる環境でした。言い換えれば、両親が子どもを「管理」できたわけです。そのせいで、門限や服装、髪型、お小遣いの使い方まで細かく言われてきました。

 

父親は、家の跡取りが欲しかったのですが、あいにくうちは女しかいません。そこで私は物心ついた時から「お前はうちの跡継ぎだからな。」その後には「お前が男だったらよかったのに」と続き、「とにかく勉強して将来自立できるようになれ。」と繰り返しいわれました。  

 つまり、両親は「嫁に行かせる」のではなく、娘を医者や教師にして婿養子をとらせ、同居して孫に囲まれて生活するという夢を描いていたのです。そのせいか、幼少期から父親に「かわいい」と言われたことはなかったと思いますし、私自身も「かわいいオンナの子」でいることに抵抗感があって「ピンク」「フリル」「リボン」「ぶりっこ」などという言葉とは縁遠い少女時代でした。好きな色は黒や青。ショートカットで、男子と対等。勉強はもちろん頑張ったし、その小学校の「初代女生徒会長」でした。(恥ずかしい‼)15歳くらいまでは、両親の期待に応えることが、娘としての義務くらいの気持ちだったと思います。

 

しかし、思春期になり、反抗期を迎える頃には、父親との激しい意見衝突が頻繁に起こるようになりました。「管理」されることに対する反発を抑えることができず、自由になりたいと強く思うようになったからでしょう。そして大体最後には「お前は本当にかわいげがない!」と言われ、そのたびに「かわいげのない子どもにしたのはあなたのせいじゃないか!」と思っていました。こうして私に強く「かわいいコンプレックス」が植えつけられました。余談ですが、はじめてつきあった相手から「かわいいよ」と言われた時、とっさに「私はかわいくないよ」と応じて、困惑させたことは苦い思い出です(笑)


 その後、「男女雇用機会均等法」の成立もあり、男女平等という名の下で、24時間働けますか?というキャッチフレーズそのままに、バリバリのキャリアウーマンになりました。役職もつき、チームリーダーとなって、ますます「かわいい女」ではなくなったころ、精神的にも肉体的にも限界を迎え、仕事をやめることにしました。その後から現在に至る経緯は、以前のブログに書いたとおりです。


 そう考えると、私は全く両親の期待には沿えられなかったわけですが、もし私が男だったら、両親の夢をかなえてあげられただろうかとこの曲を聴くと考えてしまいます。




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